ミッション:インポッシブル(字幕版)みたよ
はじめに
言わずと知れた"アクション・スパイ映画"シリーズである。
最新作「ミッション:インポッシブル デッドレコニング PART ONE」が7月21日に公開され、もちろん(1ヶ月遅れで)観に行った。もちろん面白かった。
シリーズ単位でずっと好きな作品ではあるものの、各作品の記憶は正直有名どころ、印象深いシーンくらいしか覚えてないの悔しいな…というところで一作目から学び直しの気分で触れ直そうという覚悟をしたところ。
そんな作品をうす~~~く概要だけ解説していく。毎秒話せるけどキリがないからね!
そもそもミッション:インポッシブルとは?
そんなに詳しくない人でも、
くらいは誰でも分かるんじゃないかと思う。1個目はともかく、2、3個目は知らないとちょっとサブカルチャーの勉強した方がいいよとも思う。
個人的にはその「スパイ大作戦」に触れたことがないが、M:Iシリーズ好きとしては恥ずべきことなんじゃないかと思う。実にくやしい。
ともかく、一作目が公開された時点ではそれ以外の情報はなかっただろうし、前提知識もなにも必要ないんじゃなかろうか。
一旦今後の作品との比較はせず、純粋に一作目についての感想を書いていこうと思う。
いや別にその他シリーズから入ってもいいけど。
ミッション:インポッシブル(1996年公開)
冒頭で分かる雰囲気づくり
映画は冒頭、なにやら小気味良いドラム隊に怪しげなメロディのベースから始まる。
ケーブルや計器が接続されたモニタに写る二人の男性。
一人は慌てふためき、一人はその状況を冷静に受け止めている。
その二人をモニタ越しに観察している男性……
「既に何かが起こっていて、これがスパイものであること」が一瞬で分かる状況だ。
個人的にはこういう、見れば一発でわかる丁寧な雰囲気作りが好きなので、この時点で既に心を捕まれている。まだ1分とかだよ!?
モニタの先で慌てていた男性がなにやら大事そうな情報を吐いてすぐ、一人は監視している部屋ではその情報を確かめ、一人は飲み物に何かスポイトのようなもので液を垂らし、どこかへと向かう。
数秒後にはその向かった先がモニタの中だと分かり、部屋はすぐ隣接しているものだと伝わる。
薬品が入った飲み物を飲んだ、慌てていた男性は苦しんで倒れる。
ドアを開けると監視していた部屋と繋がっており、冷静な男性は自分の顔の皮を引っ張り、そのまま剥がし……
変装マスクを被った主人公、イーサン・ハントであったことが明かされる。
モニタの中の部屋はすべてハリボテで、作戦の完遂と同時にすべてが暴かれていく。
この鮮やかなトリック、スパイものであるという誘導が丁寧ですっかり心を奪われてしまった。
(おそらく)スパイ大作戦という作品が大前提としてあるから、説明不要な部分ははぶきつつ、はじめて触れる人にも分かりやすく気を使った演出なんじゃないかと思う。たぶん。
全体的なストーリー
上記のように展開をいちいち書いていったらキリがないので、大まかな流れを、サルでも分かるようまとめつつ、気になった点を挙げていく。
例によって正確さは恐らく欠けているし個人の解釈が多く含まれているが、当局は一切関知しないからそのつもりで。成功を祈る。
あと
ネタバレを死ぬほど含む。
- 任務は失敗し、何者かによって「イーサン」以外の部隊員は全滅
- IMF(スパイの組織)の偉い人、「キトリッジ」と合流するがあらぬ容疑をかけられ逃走、疑いを晴らすため行動を始める
- IMFをすでに解雇されている数人のメンバーを補充し、情報を取引してる人物「マックス」を訪ね、情報の譲渡を条件に元凶が誰か調べようとする
- 実は冒頭で死んだかと思われていた「ジム」が生きており、今回の件を企てたのはジムなのではないかと推測する
- マックスへ渡すはずの情報も安全に確保し、首謀者がジムだというのもキトリッジに把握させた上で始末する
- 今回集めたチームメンバーは公に仕事に復帰でき、イーサンは組織を抜けようとするも新しい依頼が舞い込んでくる
といったところ。
つまり(勢力まとめ)、
- 「イーサン(主人公)」
- 「キトリッジ(疑ってくる)」
- 「マックス(利益で動いてる)」
- 「ジム(首謀者)」
の4人がいる。
勢力が少し多いが、大体トップがそのまま場に出てくるので、映像を普通に観ていれば把握にはそこまで時間はかからないだろう。そもそも1時間50分で完結してる映画なのでそこら辺複雑すぎちゃだめなのだ。少なくともこの映画はそういう「セカイ系」とは違う。
ストーリーで気になったとこ
は、正直「ない」。
強いて言えばラストのヘリコプターがトンネルの中を通るシーン前後は「やりすぎじゃない?」とは多少感じたが、そこは別にストーリーの本質ではない。
すべてが高水準で面白いし、整合性取れてなくない?となるところは、「ない」のだ。
そのぶん「ここの展開が好き!!」となる部分も少なく、ずっと「そういうの好きなんだよな……」が続く状態。
良く言えば、教科書通りというかお手本通りといった感じがする。
でもそういうの大好き。
演出面
正直現代の映像、技術に触れた後だと、どうしても少し時代を感じざるを得ない部分はある。
今作で登場する変装マスクは明らかに肌の質感が人間のそれと違ったり、表情にも変化が加えられないような気がする。そういう演技だったらどうしよう…
終盤、ヘリコプターからのライトでレンズフレアが起こるシーンがあるが、そこも「当時のCG」感が強くある。そういう演出やりたかったんだろうな…という感じがする。実際そういうレンズフレアだったらどうしよう…
予算の規模やCG等に時代は感じるが、それ以上に大事なものがある
それはなにか。
個人的には、「CGでごまかさずとも成り立つ技術や工夫、努力」だと思う。
冒頭の水槽を爆破するシーンも、下手に盛ったりせず「でかい水槽に入ってる水の量」のリアリティを感じる。
他にも、カメラワークや音楽、演技等で現実感のある生きた演出になってる気がする。
CGをばんばん使った映画のことを悪い、非現実的だと言いたいわけではないが、間違いなく、「この当時の映像技術からしか得られない栄養はある」のだ。
そこら辺解像度低いので、なんかいいなとは思ってるけど言語化できていない状況。くやしいね。
まとめ
総括すると、「時代は感じるもののすべてが高水準で、そこまで難しくないので誰でも観やすい作品」だと感じた。
泣ける作品かと言うとそうでもないし、ポップコーン食べながらくらいの集中力で観れるかと言われたら、それよりはもうちょっと集中して観てほしいし、盛り上がって応援するほどアクションシーンはない。
が、いわゆる「大人の趣味」として、少し上質な時間を過ごすときには大変おすすめな作品なんじゃなかろうか。
ステータスとかのためとか、形骸的に映画を消費するのってすごく嫌だけど。
余談
「おはよう、フェルプス君」
むかしむかしテレビで放映された吹き替え版をみたとき、ラストの「赤信号!青信号!」の部分だけ声が充てられていないバージョンがあったことを記憶している。なんでだろね。
デッドレコニングPART ONEではキトリッジが20何年ぶりの登場!ということで盛り上がってたらしいけど、正直(キトリッジって誰だっけ…)とはなっていた。めちゃくちゃ知ってる人だった。
ちなみにそのデッドレコニングでは、終盤キトリッジと会うのが列車の中だったり、そもそも最終決戦が列車の上だったり、それなりに1作目を意識している気はする。
というか今回感想がうっっっすすぎたの自分でも気になる
夏休みを思い出して
はるです
どんなことするのか
というか前提として
多分太文字だけ見ればすべて把握できる。
他の部分は読んでも読まなくてもいいようにはなってるけど。なってるけど。
「読書感想文」がやりたい
「読書感想文」、この言葉を見てどんな状況を思い浮かべますか?
自分が思い浮かべるのは、小学校の夏休みが終わり、登校日当日の早朝そこら辺にあった本を拾ってきて、目次と巻末の解説だけ見てただそれをまとめ、「~と言った作品で、興味深い内容でした。」と締めるだけの、事務的に消化しただけのそれ。
当時は「読書感想文はなんて楽な宿題なんだ!要約するだけなら1時間とかからずにできる!!」とそれだけで満足していましたが、そもそも、wikipediaによると
読書感想文(どくしょかんそうぶん)は、本を読んだ感想について書かれた文章。しばしば教師からその作成が宿題として課される。特に日本では夏休みなどの長期休暇期間に課せられることが多い。
wikipedia:読書感想文より引用
とのこと。本を読んでの感想ではないので、唯一ある読書感想文の経験は、正確には読書感想文ではなかったかもしれません。というか自分でも正しくないとは思う。
そのリベンジもありますし、現在の文章力や感性をきちんと文章にしたらどうなるのか、今年こそ夏休みの宿題を終わらせられるのではないか、真の意味で進級できるのではないかという思いで、「読書感想文」に挑もうと思います。
自分を知ってもらうための感想
というか、"自分を構成するもの"が多すぎると個人的に感じています。
「この作品のこのセリフが今の自分と重なって…」「このキャラは、今までの価値観をぶち壊すほどのインパクトを与えてくれて…」など、価値観やそれに伴って日常での思考、人生への影響を与えてくれる作品が、小説や映画、ゲームや音楽などに満ち溢れているのです。
「要素を探し集め、拾い集めて組み合わせると自分になる」と感じていますし、「自分からあえて言葉にするのも恥ずかしいような自分の要素」だってさまざまな作品に散らばっています。
それらを自分の感性、言葉で感想をアウトプットすることで、見てくれた人に「ああ、はるさんはそんな捉え方をしたんだな」と思ってもらえるような、"自分を知ってもらうための感想"を形にできたらと思います。
叙情的な文章の練習
とはいえ正直、そもそも人に見せられるような文章はしていないんですよね。致命的。
Twitterなどではるさんの文章を見たことがある人は(とんでもなく冗長で面白みもないしつまらない文章だな…)と感じたことがあるかもしれません。自分でもそう思う。
そこがすごくコンプレックスであり、素敵な文章を書く人への憧れも強くあるので、好きな作品の力を借りて分かりやすく、かつユーモアに富んだ文章の練習をしていきたいと思います。目指せ文豪。
きっかけ
レビューしてる人、羨ましいよな
Twitterやブログで、作品のレビュー、批評をしている人をたまに見かけます。
内容や説得力はともかく、「自分の言葉で」「誰かに伝えようとする」その姿をひどく羨ましく思う瞬間があります。
いわゆる「2ちゃんねる用語」「なんj語」などがライトな層に浸透し始めてから、自分の言葉で物事を表現する人が減ってしまった気がします。
面白いことがあったら「草」、ちょうどよい状況に合わせて語録を使う。
それらを現代のことわざ、慣用句と捉えることもできるかもしれませんが、それでも感情や感じたことは自分なりの言葉で表現したいと思ってしまいます。
その中で、前述した「自分の言葉で」物事をレビューしている人はやはり特別で、ある種の憧れのようなものを感じます。
みんながみんなそんな感性ではないですが、自分と似た思いの人に憧れてもらえるよう、こんな文章力でもアウトプットしていいんだなと勇気付けられるような文章を書きたい。
作品から受けた人生単位の「呪い」を知ってくれ
これは前述した"自分を知ってもらうため"と重複する部分もあるのですが、
好きな作品について語れそうな機会があったとき、相手の感想が薄すぎてびっくりした、経験、ありませんか?
「自分はこんなに好きだし狂わされてるのに、この人は何も感じないのか!?」とがっかりした経験、ありませんか?
それなりに限界なオタクならきっと何度かあるかと思われます。残念ですよね。
そこで相手の熱量に合わせるため話を引っ込めるのは簡単ですが、「こんなに語れるくらいには愛してるんだぞ!!」という熱量を発揮することも簡単に実行できるべきだと思います。というか個人的にはそういう環境でありたい。
というわけで人生単位で狂わされてる様を見てほしい。どうせ話聞いてくれない人に語ろうとしても語れない時間を割くのはもったいなさ過ぎるので、せめて自分だけは自分を肯定してあげようと思います。人生単位で狂うこと、あるよね。
まとめ
つまり、「夏休みの宿題を改めて丁寧にこなしたい」し「自己表現の場が欲しい」し「文章力を向上させたい」というわけです。
いつまで経っても進級できずおいてけぼりにされているという気持ちを、少しでも楽にできるように。
どんな価値観で作品に触れてるのか知ってもらうために。
叙情的な文章を書くために。
人生を狂わされた作品やキャラクターについて、個人的に要点をまとめつつ感想を述べ、どんな影響を受けたかを綴っていければと思います。
もうひとつのテーマは「5年後見たとき黒歴史にならないように」。
余談
既に「と思います」が頻出しすぎているのが恥ずかしすぎる。言い換えようにも表現を知らないし、「感じた」「思った」が万能すぎるけど、それに頼りっきりになるのはいけないよな…とは、思う。